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【2024/6月 ドキュ・アッタンシアター#沖縄レポート】「ドキュ・アッタンシアター沖縄」に参加してーー砂守かずら

-- 2024年6月に開催した「ドキュ・アッタンシアター沖縄」について、同行してくれたアート・アーキビストの砂守かずらさんにレポートを寄せていただきました。

 インデペンデントキュレーターでドキュ・アッタンのメンバーでもある居原田遥さんにお誘いいただいて、2024年6月7日から9日まで沖縄で開催された「ドキュ・アッタンシアター」に参加した。「ドキュ・アッタン」はミャンマーの困難な現状や生活、平和への想いを伝えるためにジャーナリストや映画監督、アーティストたちの映像作品や短編映画を紹介する活動を通して支援するプロジェクトであり、メンバーは居原田さんの他に映像作家の久保田徹さん、ジャーナリストの北角裕樹さんによって構成されている。

 沖縄では3日間異なる会場での上映会だったが、特に初日である7日の上映会が強く印象に残ったので、この日のレポートを中心に記したいと思う。


沖縄エインー食事を囲むこと





 那覇空港に到着した夕方、ドキュ・アッタンのメンバーと、私と同じく今回の旅に同行することになっていた京都精華大学のナンミャーケーカインさんとともに「ミャンマー平和創造ネットワーク沖縄エイン」へ向かった。この「沖縄エイン」は沖縄県の糸満市にあり、沖縄で暮らすミャンマー人の皆さんの憩いの場のようなスペースだった。「エイン」はミャンマーの言葉で「家」を意味するそうだ。

 到着すると、沖縄で暮らすミャンマーの方々が料理をしている最中だった。大鍋で煮込むスープに香辛料、ミャンマーの食材がテーブルの上にところ狭しと並んでいた。



私はミャンマー料理を食べるのが初めてだったので、調理の輪に入れてもらい、料理の説明を聞きながら味見をさせてもらった。発酵茶葉のラペソーは、口に入れると塩漬けのような味だが、噛むと口の中で甘い紅茶のような香りが広がった。ラペソーにトマトやフライドナッツ、玉ねぎなどを加えるとラペットウというサラダや軽食とされている一品になる。これは家でも作ってみたいと思った。


それからモヒンガーというなまずの出汁を使ったとろみのある麺料理、カレーとデザートが完成し、食事が始まった。ミャンマーの若者たちは終始、あどけない雰囲気で談笑しているのが魅力的で、ついカメラを持って近くに吸い寄せられてしまった。





上映 ― 映像作品をいっしょに「見る」


食事の後の上映会では5〜15分程度の映像作品を数本、鑑賞した。ドキュメンタリー、アニメーション、ミュージックビデオなどの手法でさまざまな立場の人々が語るミャンマーの現実は過酷で、子育て中の自分には同じように子育てをする女性の視点が気になり、また、感情移入せざるを得なかった。




ダイレクターHの作品『ママはジャーナリスト』にはジャーナリストのミレイが、軍事クーデター時妊娠1ヶ月半の妊婦であったにも関わらず、市民に真実を伝えるために、警察と対峙する少年達と共に最前線でカメラを構える姿が写っていた。その後警察から追われ逃げる際にこれ以上走れないとなった時、自身の身の安全より撮影したカメラを人に託そうとしたことや、ミャンマー軍から逃れるため生後45日の娘を連れて国境を越えた体験を語っている。それらの行動に通底するのは、「次の世代に私たちのような人生を受け継がせたくない」「次の世代が将来自分の国を失わないように」といった信念を貫く姿そのものであり、とても印象に残った。





 カウンテの作品『CDM家族』は、軍事クーデター以降、民主主義を達成するためのCDM(不服従運動)に参加した夫とともに家族全員が危険にさらされることとなり、僧侶の親戚として寺院に身を隠し、後ろ盾が亡くなったことを機にタイへ逃れたという物語だ。一時的避難民としてたどり着いた先でも続く危険や困難な日々を、妻・ギギの視点で語られている。そこではミャンマーで暮らしていた時より命の危険に対する心配は無くなったものの、逃れた土地では不法滞在者となり、常に逮捕をされる危険がある。外出やこどもを外で遊ばせることにも不安がつきまとう生活を送っている。




 映像を見たことで記憶がフラッシュバックしたという声も聞こえてきた。



 自分が当事者になったことで、これまでは政治に無関心だったけれど関心を持つようになったという声も多かった。活動を続けるうちにミャンマー軍の弾圧によりデモに参加すること自体が命懸けの状況になったという。彼・彼女らは来日してからも働きながら、「こどもに国を残すため最後の1人になっても革命を支援する」という力強い言葉にはとても驚いた。




 調理や食事中と変わらず、あどけない面差しからは計り知れない強い意志を心の内に秘めていたとは。これまでも友人を介してミャンマーをめぐる活動などをみたり、参加したことはあったものの、直接当事者と顔を合わせて彼らの体験を伺ったのは今回が初めてで、貴重な場と経験になった。翻って自分たちが住んでいる国で同じことが起きたとして、自由が制約され、異議を唱えることが命懸けになり、国外に逃げざるを得ない状況になったとしたら、と考える。もしくはそのような状況を招かないためには日頃、なにを注視しどのような行動をとるべきなのか。または起きてしまったことに対して考え得る手段にはどのような種類があるのかなど、彼・彼女らの伝える体験を通して一つの指針を得たように思う。


 

砂守かずら(すなもりかずら)

アート・アーキヴィスト。写真家の父である砂守勝巳の遺作を保存、研究、発表を行い、展覧会を含むさまざまなイベントをおこなう。関与した主な企画展に『黙示する風景』 (原爆の図丸木美術館、2020年)、『UNZEN-「平成の島原大変」:砂守勝巳と満行豊人をめぐって』(多摩美術大学芸術人類学研究所、2021年)

近年は自身が撮影した写真の展示も行う。

2024年5月、クィアコミュニティスペースnamnam『パレスチナあたたかい家』チャリティー展、ア―トアクティヴィズム写真出品

6月、東京芸術大学美術館陳列館『不和のアート:芸術と民主主義 vol. 2 (The Arts of Dissent: Art and Democracy vol. 2)』2階展示室企画、写真出品

など。

 




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