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Translate test「民主主義の警察目指した」不服従の警部が体験したミャンマー軍の恐怖支配 北角裕樹


弾圧の命令に苦悩


2023年11月の記者会見でチョーサンハン氏は涙を浮かべてミャンマーの現状を訴えた

 

ミャンマー警察警部のチョーサンハン氏は2021年3月、首都ネピドーを警備する部隊の隊長に任命された。前月に起きたクーデター後の民主派デモが弾圧が吹き荒れていた時期。ネピドーのみならず、ヤンゴンなど各地で軍や警察が次々とデモを鎮圧して民主派を摘発していた。彼は市民の弾圧を命じられたことを理解した。


 「市民を撃つことなどできない」と考えたチョーサンハン氏は、十数人の部下に命じた。「万一弾薬をなくされては困る。弾は私が預かる」。そうして、彼の部隊は実弾を持たないまま自動小銃を構え、パトロールに向かった。隊長の任にあった約4か月の間、彼の部隊はひとりとして市民を拘束することはなかった。


 現在33歳のチョーサンハン氏は、ミャンマー警察の異色のエリートである。警察から国際交流プロジェクトの一員に選ばれオーストラリアの大学で国際関係学の修士号を取得。タイの警察学校にも留学し、最年少で警部に昇進した。


 「民主主義国家の警察官になりたかった」という彼はクーデター前、民主化へ向かう中で警察官の研修の講師を務め、規律の徹底と人権の尊重を促す役割だった。そんな彼の思いは、21年の軍事クーデターによって裏切られた。


拘束の豪経済学者をかばう


 同年2月上旬、アウンサンスーチー政権の経済顧問だったオーストラリア人経済学者のショーン・ターネル氏がヤンゴンで拘束される。英語が堪能なチョーサンハン氏は彼の通訳に任命された。狭い取調室で尋問される姿を見たチョーサンハン氏はショックを受け、ひそかに彼を手助けするとともに、上官に解放を進言した。その結果通訳を外され、現場の警備隊長に飛ばされたのだ。


 ターネル氏をかばったことや、警備隊で市民を摘発しなかったことで忠誠を疑われた彼は、たびたび当局の調査対象となった。しかし、彼は携帯電話から画像を消去するなどして、証拠をつかませなかった。しかし、それも長くは続かないと考えていた。

 

 彼は市民不服従運動(CDM)に加わり、国外に脱出することを模索した。しかし、彼の頭にあったのは家族のことだった。ミャンマーの軍人や警察官の家族は、ネピドーなどの官舎で暮らすことになっている。彼は「これは事実上の人質だ」と話す。軍に歯向かえば、家族が無事に済まないということを叩きこまれるという。実際にクーデター後、公務員宿舎が軍に襲撃を受けて家族が追い出されるなどの例が報道されている。


 そこでチョーサンハン氏はまず、家族をひそかにタイへ脱出させた。その後自身もタイの大学院に留学する手続きを取り22年に留学生として脱出。しかし、タイ政府はミャンマー軍と関係が深いため安全でないと考えて、同年末に日本にたどり着いて難民としての保護を申請した。23年に難民として認められ、現在は東京で日本語を学ぶなどして生活している。



記者のインタビューに応じるチョーサンハン氏(2023年11月)


警察学校で暴力


 難民認定されたチョーサンハンさんは、在日ミャンマー人らの民主化運動に参加している。このため、タイに残された家族にミャンマー当局の迫害の手が伸びることを懸念。豪州など第三国への受け入れを求めている。


 家族を理由とした脅しのほかにも、警察や軍は「恐怖による支配」によって内部統制を行っているとチョーサンハン氏は証言する。彼が18歳のころに入学した警察訓練学校では、まず訓練と称して教官から殴る蹴るの暴力を受けた。上官には逆らえないことを身をもって示すためだ。理想にあふれていた若い彼は、その理不尽さに涙を流した。


 ミャンマーの警察官や軍人は、自由に退職することができない。無理やり辞めれば職場放棄とみなされ罰せられるうえに、家族に類が及ぶ。彼の母が危篤に陥った時に休暇を申請したところ、上官から「我々は警察官だ。そんなことで休暇は出せない。私も親の死に目に会えなかった」と拒否された。その結果、彼は母の最期に立ち会うことができなかったという。


 チョーサンハン氏は2023年11月、東京の外国特派員協会で記者会見して、クーデターの不当性を訴えた。その場にはターネル氏がオンラインで参加したほか、ドキュメンタリー作家の久保田徹氏と筆者が同席した。


この席で彼は、軍の幹部に複数の逮捕者が出ていることについて聞かれ、「軍は疑心暗鬼に陥っている。恐怖によって支配しているだけで、相互の信頼がない。いつも裏切られることを心配している」と説明した。そして、「勇気を出して恐怖に打ち勝ち、市民の側に立ってほしい」と元同僚たちに市民の弾圧をやめ、不服従運動に加わることを訴えた。


会見を終えて安堵した表情のチョーサンハン氏は、筆者にこう話した。「いつか民主化した国にもどり、警察の変革を進めたい」。彼のような人材が活躍できるミャンマーとなる日が待ち遠しい。


記者会見を終えたチョーサンハン氏(中)、久保田徹氏(右)、筆者(2023年11月)

 

北角裕樹(きたずみ・ゆうき)

1975年生まれ。ジャーナリスト/映像作家。ドキュ・アッタン発起人。日本経済新聞記者、大阪市立中学校での民間人校長を経て、2014年にミャンマーに渡る。以後ヤンゴンでジャーナリストとして活動する傍ら、短編コメディ映画「一杯のモヒンガー」を監督。ミャンマーのクーデター以降も残り現場で取材を続けるも、2021年2月と4月の2回にわたり拘束され、フェイクニュースを拡散したという不当な嫌疑でインセイン刑務所に約一か月間収監される。同年5月に解放され、帰国してミャンマーについての情報発信を続けている。


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